東京高等裁判所 昭和40年(う)2226号 判決
被告人 有川嘉彦
〔抄 録〕
よつて按ずるに、原判示第二の事実中本件犯行が原判示の如く確定的殺意に基く点を除き挙示の証拠によつて優にこれを肯認することができる。そこで、右殺意の点について審究するに、右証拠によると、被告人は昭和四〇年二月八日午前零時頃、いわゆる的屋極東大石組の幹部稲垣嘉男、井出昌義と共に吉原市内のバーなどで飲酒した後一旦稲垣と別れ、右井出方へ立寄つていたところ、間もなく稲垣から井出に電話があり、被告人は事情のわからないまま同人らと共に富士宮市へ行くこととなつたが途中自動車の中で、稲垣の運転手清隆の友人小泉栄治が的屋桝屋一家の者に暴行を受け、その事務所に監禁されているので連れ戻しに行くとの事情がわかつた。被告人らは桝屋の事務所に赴いたが小泉はおらず、表に出たところ付近路上に同人と清とがいた。小泉は稲垣にことの経緯を話した後、近くのすし屋にいた被害者太田繁三を被告人らのところへ連れて来たうえ、同人に対し「さつきはおれを半殺しにしやがつて、今度はおれの方でやつてやる」といつて殴りかかり、井出、清、被告人らも太田をとり囲んで暴行を加えた。その際、被告人は太田が抵抗して来たことに憤慨し、所携の刃渡り約六・六糎の飛び出しナイフをもつて胸部を三回と腰部を一回刺し、よつて右各所にいずれも深さ約五糎の傷害を負わせ、心臓刺創による心嚢タンボナーゼにより間もなく死亡させたものであることが認められる。しかして、右のような兇器の形態、刺創の部位、程度、刺した回数などからすれば、被告人が未必的殺意をもつて右犯行に及んだものであることはこれを否定し得ないが、被告人が右兇行に及ぶまでの経緯、状況、被告人が小泉とは知り合い関係になく、また太田ともこれまで何らの関係がなかつたことなどを併せ考えると、被告人が太田の抵抗に激昂したとはいえ、原判示のように確定的殺意をもつて太田を殺害したとは認め難い。さすれば、原判決はこの点において事実を誤認したものというべきであり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。
(松本 海部 石渡)